ミクとルカの話

Let me do as he likes.




例えて言うなら、迷路の道を間違えたみたいなものだ。
正しいゴールなんてあるのか知らないけれど…
きっと今のところ、誰一人として、正しい道を歩いている者はいないのだろう。
目の前に手をのばしても、触れるのは壁ばかり。
目当てのモノを見つけても、見えないそれは、だが確実に進路を阻むのである。

ただ、時折、その閉鎖的な空間で、誰かと出会うこともある。
自分が追いかけ続ける獲物か、それとも自分を狙う、鬼か。

逃げ続けたはずだ。
追いかけ続けていたはずなのに。

目の前の壁はあまりにも高かった。
差し出された手はあまりにも、寂しいものだった。



冷めきったマグカップをカツンという音とともに机に置く。
今日の紅茶は、少し渋い。

かさり、かさり
楽譜をめくる音だけで会話する。
二人の間に流れる沈黙の意味を、ルカは知らない。

それぞれが奏でる一音が、一つのメロディーとなっていく。
一時間後には、二人揃って防音室だ。

ああ、防音室に入るのはあの日以来か。
彼女とはじめてキスしたのは、その部屋だった。
あの日はじめて、ルカの視界が赤に染まった。

声あげてもいいけど、どうせ誰にも聞こえないわよ、なんて…
そんな情けない顔で言われても、迫力なんてカケラもない。
形だけの抵抗と、苦しいと叩いた背中が、二人の堕ちていく合図。

目の端でちらちら踊る赤色は、確かに情熱の色だった。

みずおちのあたりがぎゅっと締め付けられるような感覚で、ふと我にかえる。
視線を感じて顔をあげるとメイコと目があった。
瞬間にそらしたのはルカ。

気まずくて、気恥ずかしかった。
紅茶色に全てを見透かされているようで。

もう、何がなんだか分からない。
自分が、誰を好きなのかも…
本当に好きなのかさえ、ルカにはもう、わからなかった。

ただ、脳裏に浮かぶのは、無邪気に笑う少女と、唇に残る生々しい感触。

どちらが正しいのかなんて…


「ルカ、リンちゃんのこと好き?」
何事もなくレコーディングを終えた後、ルカはミクと昼食をとっていた。
とりとめもない会話のなか、突如爆弾を投げたのはミクだった。

「恋愛感情として、好き?」
「え…?」
何を答えていいかわからず、ただ箸をもつ手だけがせわしなく動き続ける。

――赤身魚には鉄分が沢山含まれてるんだって…

先刻、鮭を焼きながらミクが教えてくれたことを思い出す。
なんて、かえしたんだっけ…

――じゃあ、いつも貧血のリンに食べさせればいいんじゃない?

「メイコは?」
「…」
ごくっと、喉がなった。
意味も無く動き続ける箸が、残り少なくなった魚の身を崩していく。

おもわずまじまじと見つめたミクの顔は、思っていたよりずっと穏やかで…
翡翠色の目はあまりにも優しかった。

「…わかんない」

正直に答えてから、すこしだけ後悔した。
ミクの真意がわからなかった。

「そっか」
「ミクは…」
「ん?」

「ミクは、メイコさんのこと…」
「うん、好きだよ。」

とくとくと上昇していく鼓動のスピード。
ちらちらと、浮かんでは消えていく無邪気な笑顔。

「でも、どうなんだろうね」
好きだけど好きじゃないよ、と小さな声で続けた。

眉を下げて笑うその表情に嘘はない気がした。

「私は…私もどうなんだろう…やっぱりわかんない」
「そっか」

そっか、ともう一度呟くとミクはまた、食べかけの鮭をつつきだした。
二人の間に流れた一瞬の沈黙が、この話は終わりだと告げる。

「ねぇミク…」
「ん?」

もぐもぐと口を動かしながら首を傾げる。
口一杯の食べ物を一生懸命咀嚼する様子はまるで小動物のよう。

あぁ、好きだなと思った。
絶対に理解できないその趣味も、意外に子供な嗜好も。

そして、たまにふっと遠い目をするのだ。

好きだけど、きっと今の、友達以上にはならないのだろう。
それでも、彼女が恋人だったらどれだけよかったかと願わずにはいられない。

「駅前に新しいケーキ屋さんができたの。今度一緒に、偵察にいかない?」

ごっくんと口内のものを飲み干すと大きく頷いた。

「いく!いくいく!」
「どうせミクはモンブランでしょ」
「わー!モンブランなめんなぁ」

彼女と仲が良くて本当に良かった。

がたっと音をたてて、ルカは椅子をたつ。
「ごちそうさま。それじゃお先に」
「え?ルカ食べんのはやくない…?」
「ミクが遅いのよ」

食器を片付けている間も、ミクは延々と文句を垂れていた。
ひらひらと後ろ手に手を振るとリビングをでる。

「あ、そうだ!ルカ!」

呼びとめられ後ろをむくと、満面の笑顔がまっていた。

「あたしはルカのこと好きだから!だぁいすきだから!」
「…ばぁか……」

「はやく食べないと冷めるわよ」

彼女の笑顔をみながら、がちゃっとリビングの扉をしめた。
中のミクは、まだ笑顔のままだろうか。

一歩踏み出したとき、冷え症の指先がほんのりと温かくなっていることに気がついた。
リンは何のケーキが好きだろう。
苺好きって、言ってたな。


今度一緒にケーキ屋さんに行ったときは、お礼に彼女のモンブランを半分くらい食べてやろうと思う。






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