リンミク。

リン→ミク?

Speak low if you speak love.




ひどくイライラする。
無意識に楽譜を握りしめてしまうくらい、イライラする。
五線譜に並ぶ記号だとか、赤いボールペンで書き入れた自分の小さな走り書きだとか、目に映る全てがアタシのイライラを掻き立てる。
眼の端にちらちらと写りこむアタシの金髪さえも…。

歌は好きだ。大好き。
歌はアタシの存在意義でさえある。
マスターの歌は飾り気がなくて、それでいてまっすぐで…得意のピアノが耳に心地よい。
マスターの歌は聴いている時も、うたっている時もいつだって心が安らぐような…

好きだなと思う。

なのに、それなのにどうして、こんなにもアタシはイライラしているんだろう。
それが分からないからさらに気持ちの悪いものが募っていく。

こんなんじゃ駄目だ、そう思って握りしめる手を緩めると、すっとねらったようにきれいなソプラノが耳に滑り込んできた。
濁りのないきれいなソプラノ。
音源には目を向けず耳だけそちらに傾ける。
歌声が途切れると今度は声が聞こえてきた。
どう聞いても聞き間違えようのない成人男性の声に、先ほどのソプラノが被る。
楽しそうに…会話
見つめるだけで、何一つ頭に入ってこない譜面から目を離して二人のほうを見やる。

マスターがからかうようにミクを小突く、楽しそうに
ミクが少し怒ったような顔をして、でも少し笑ってマスターの腕をたたく、やっぱり楽しそうに

喫茶店にいる、どこぞのカップルのように、それはそれは楽しそうだった。
蛍光灯が目の奥でちかちかする。
まるで危険を知らせる信号のように。

マスターのことは尊敬している。
彼の歌も彼のことも好きだ。
ミクのことも大好きだ。
この家に初めて来たときからずっと可愛がってもらってきた自覚はある。

二人とも大好きなのに。

マスターの柔らかい声が、ミクのきれいな声がアタシのわけのわからない怒りを助長させていく。
ミクの笑顔がアタシの意味のわからない神経を逆なでする。

知らず知らずのうちに、また手の中の楽譜を握りしめていた。
この短時間で確実に、アタシは紙の皺を増やしていった。

少しだけ離れたところにいるマスターとミク。
先にアタシに気がついたのはマスターだった。
笑顔のまま私のほうをみて手招きした。
おなかの中がぐるぐるするような、理解できない苛立ち。

「リン、おいで。歌おう」

いつもの穏やかな笑顔だった。
楽しそうな笑顔ではなく、穏やかないつものマスター。
何か言おうと思って息を吸い込む。

「リン」

アタシが何かを言う前に、ミクがアタシの名前を呼んだ。
あまりにも強く握りしめていたせいで、紙が破れたようだ。
自らの爪が直接肌に食い込む。

「リン?」
もう一度、優しい声でミクが呼んだ。
「…や…」
「?」
「…いや!歌わない!…歌なんて歌わない!」

やっと吐きだした言葉は、まるで駄々をこねる幼子だった。

二人の顔が見れなくて、今見てしまったら、また何かわけのわからない言葉をぶつけそうで、無理やり逸らした視線そのままに部屋を飛び出した。

物にあたるのは趣味じゃないけど、廊下に置いてあった空のごみ箱を全力で蹴り飛ばした。
それぐらいしないと、どうにかしてしまいそうなくらい、アタシはぐちゃぐちゃしていた。






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