1




私たちって料理下手だよね。という話題から始まった。
週一で家事を行っている割に、一向に料理の腕が上がらない。
メイコより私のほうが上手いですよ、とか挑発してきたから…のった。

しっかし…勝負がこれとは…
リンゴの皮むき…何故リンゴ、あえてのリンゴ…
嫌いなのにな、皮むき。

皮むきは専らピーラーを使う。
なんなら、ピーラーの魔術師と呼んでくれても構わない…
……ピーラー使っても遅いけど…

指を切らないように、ゆっくり丁寧に皮をむいていく。
包丁を掴む手に力が入る。
……。
あえてか?あえてなのか?
包丁の扱いが苦手なのを知っていて、あえてこの勝負内容を選んだとしたら相当意地が悪い…

一言文句を言ってやろうかと隣のルカを見ると、想像していたよりも真剣な顔をしている。
手元の無残な皮は、私とそう大差ない。
むしろ、かすかに震える手は私より危なっかしい。

可愛いなぁ…なんでこんなに可愛いんだろう。
真剣な光を宿す藍色も、日の光を受けて柔らかく輝く桃色も…
まっすぐにリンゴを見つめている美人というのは少し滑稽だけど、そのちぐはぐな感じがまた可愛かった。
少し伏せられたまつ毛が、かすかに震える。

「ぃたッ…!」
自分の手元に目線を戻すと、痛みの原因が見えた。
小さな切り傷から少しずつ血がにじむ。
大丈夫ですか?という一言ともに手をとられた。
「うん、まぁ…このくらいすぐ直るし…」

しばらく、傷口をじっと見つめた後…

脳みそショートするかと思った…
本気で…
「ちょ…!え、ル、ルカ何してんの!?」
しばらく、傷口をじっと見つめた後…私の左手人差し指は、彼女の口の中へ…

少しの痛みとともに、生々しいまでの柔らかい感触。
ちらちらと覗く赤い舌が、なんとなくいやらしい。
何もやましいことはしていないのに…

私の指を舐めながら、目を閉じるルカ…

不覚にもどくっと反応した心臓の動きを感じた。
あぁもぅ…これは…誘われてるんだよね…?

無意識だとしたら犯罪だ。
罪を犯した者には罰を…そうだよね、ルカ?

まだ真昼間だけど…
夜の世界へ誘うべく、指を引き抜いて少し強引に唇を重ねた。

2




「大好き」と満面の笑顔で君は言った。
「お姉ちゃん」と君は、私を呼ぶ。
無邪気な君を、邪な目で見る私は…

君の蒼い瞳を見つめて、少し低い声で呟いてみた。
「ねぇミク…愛してるよ…」
きょとんとした顔で数回目を瞬いた。
「え…え?…あ、ああああいしてるって…え、ええ?」
あちらこちら動き回る蒼い瞳。
彼女の頭から湯気が出そうだったので、それとなく表情を緩めてみる。
きゅっと、私の目に彼女の目が固定した。

「分かった、お姉ちゃんからかってるでしょ。だって」
だって?
「今日、四月一日だもん。エイプリルフールでしょ」
あぁ、なんて可愛いんだろう。

いっそのこと、全ての自由を奪って閉じ込めて…
全部全部、私のものにしてしまうことができればいいのに。
それが出来ないのは…結局、私が彼女を愛しているから。

全てを壊して、心以外、彼女を私のものにしてしまうよりも、何も手に入れられないまま、その邪気のない笑顔をみている方がいい。

痛み苦しむ姿も、傷つき流す涙も、許しを請いながら私の名を呼ぶ声も、全て魅力的だけれど…
でも…だって…
私はやっぱり彼女のお姉ちゃんで、彼女のお姉ちゃんは私だけなんだから。

「あーぁ、バレちゃったか。もっと慌てふためくミクを見たかったのになぁ」
せめて、私が男だったなら…同じ舞台に立つ資格はあったのだろうか。
「もぅ!そんなにバカじゃないよ!」
ぷぅと膨れたほっぺたを指で押すと、ぷしゅっと息が抜けた。

「でもね、お姉ちゃん」
一つだけ願いが叶うとしたら、私は何を願うのだろう。
彼女の身も心も手に入れること?
それとも…彼女の幸せ?

いつしか現れるであろう彼女の王子様は憎いけれど、ひとつだけ私は私で良かったと思うことがある。

「ミク、お姉ちゃんのこと大好きだよ」
ほら、これは「お姉ちゃん」だけの特権。

「大好き」と満面の笑顔で君は言った。
「お姉ちゃん」と君は、私を呼ぶ。
無邪気な君を、邪な目で見る私は、今はもう頭をなでてやることも出来ない。
それ以上、触れない。
もうこれ以上、近付けない。

私は彼女を愛していない。
今日だけ、四月バカになりきって、彼女に触れた。

私は彼女を愛していない。

3




こう…なんというか…
耳元で愛を囁くと、仏頂面のまま真っ赤になって逃げていく様は可愛いんだけど…
私ばかり一方通行みたいで寂しくないか…?
寂しいよな…うん、寂しい。
好きの一言も貰えない恋人とか…
だから…私が、少し遊んでみようと思ってしまったのも仕方無い話だ。
と思いたい。
彼女が好きって言ったら、私の勝ち。


リビングでマスターと二人、ルカの帰りを待っている。
マスターは、彼女を待っているわけではないが。
彼がいないと計画が成り立たないから。
ここにいてもらわないと困る。

18時5分前。
ルカはたいてい、18時きっかりに帰宅する。
なんなんだろう、あのルカルール。
わざわざ時間を計ってるとしか思えないくらい正確なルカ時計。

18時4分前。
ルカは傷つくだろうか…傷つくだろうな。
というか、傷ついてくれなきゃ私が傷つく。
私で、彼女が傷つくなら構わない。
私がつけた傷は私が癒す。
でも、男に限らず他の奴らが彼女を傷つけるようなら容赦しない。
ルカを傷つけていいのは私だけだ。

18時2分前。
そろそろか…
「マスター」
「ん?」
「髪にゴミついてますよ」
ついてないけど…
マスターは自分の髪をちょいちょい触りながら、取れたー?と聞いた。
「いえ…ちょっと、じっとしててください。」

18時1分前。
計画発動!
その名も!「愛情補完計画」だ!
このために、今日は服の胸元を2割増しで開けてきた。
マスター、おっぱい星人だし。
ソファに座るマスターに覆いかぶさるように身を乗り出す。
「ちょ…おい」
彼の位置から見たら、相当な「絶景」のはずである。

18時ジャスト。
がちゃと玄関の扉が開き、こちらに向かう足音が聞こえた。
「あれ…とれないなぁ」
とれないもなにも、まずモノがついていないのだけど…
マスターの頭を抱え込むようにして、さらに顔を近づける。
まるでキスをするような…知らない人が見たら、恋人がいちゃついているようにしか見えないはず。
それは私の彼女も例外ではなく…

どさどさっと荷物が落下する音が聞こえた。
オーケー、計画の筋書きはここまで。
あとは流れに任せて運任せ。
「…メーコ…?」
「お、おぃメイコ…?」
顔近くないか…というマスターの言葉は最後まで聞けなかった。
そのかわりに、襟がぐいと引っ張られる感覚と、右頬への衝撃。
流れがスムーズすぎて、なにが起こったのか分からなかった。

気付いた時には、背中に感じる痛みと、目の前の無表情なルカ…頭上で掴まれた手首。
おっと、これは予想外。
裏返ったマスターの声が、少し遠くから聞こえた。
「お…おお、おいルカ…べ、べつにその…あの」
「うるさい」
あ、怒ってる。

全力で壁に押し付けられているもんだから、背中も手も、むしろ全身痛かった。
怒ってるルカの顔を見るのは初めてだとか、人に痛みを与えるまでルカが感情をむき出しにしているだとか…手首の痛みを嬉しく思っている私は、相当なマゾヒストかもしれない。

力を緩めることはないし、表情も変えない。
それなのに、彼女の感じる怒りはひしひしと感じる。
あぁ、いいなぁ…ルカが私で起こっている。
彼女は何も言わない。

「…何も、無いよ」
そんなこと、ルカも分かってるだろうなと思いつつ、一応弁明。
きっと彼女の事だから、私が敢えてあの体勢にもっていったことも、敢えてこの時間を選んだことも…敢えて彼女の目の前でやって見せたことも、気付いているに違いない。

彼女の口が開いてまた閉じたかと思うと、再び開いた。
「…さっきの、わざとですか」
「うん…ごめん」
「私のこと…もぅ…想ってくれていないんですか…」
「ううん…全然」
響くアルトは、表情にならって無機質だった。

「貴女の相手は、私じゃ不満ですか…」
「ううん」
こんな状況でも、意外と落ち着いている自分は、なかなかすごい精神力だと思う。
でも少し、手首の痛みが我慢できなくなってきた。
手に籠めている力…増してないか…?

「私ひとりじゃ…不満ですか…駄目ですか…
「ううん全然。満足してる。」
「じゃ…ど、して…」
無機質だった声が、とけるように震えた。

「少し、嫉妬させてみようかと思って」
前触れなく、ルカの双眼から涙があふれ出した。
それはもう…ぶわっと
「ちょ、ちょっと…ごめんて…そんな泣くことないじゃない」
私の体を壁に押し付けたまま、彼女はしばらく泣いていた。
歯を食いしばって、強い波をやり過ごすように。
痛みに耐えるかのように…
「こういうの…なれてないです…」
私の腕を拘束する彼女の手を解くと、驚くほど無抵抗だった。
あんなに力入れてたのに。

ひっくひっくとしゃくりあげる様は、まるで子供のよう。
「だってルカ、そっけないんだもの。全然好きって言ってくれないし。」
だから、やきもち焼かせてみようと思って。
薄い肩に手を伸ばして抱き寄せると、怯えるようにびくっと震えた。
ツンデレも可愛いんだけど…
「いい加減…私も寂しくなってきたよ。」

何も言わず、ルカは私の肩に頭を押し付けた。
悔しいなぁ。
私の方が、背低いや。
そろりそろりと、様子を見るようにルカの腕が動く。
ゆっくりと、充分な時間をかけて私の背にまわった。

「甘えるの…なれてないです…」
「…じゃぁ、私の名前呼んで」
この距離だと、相手の呼吸音まで聞こえる。
鼓動が伝わるのはもちろんのこと…出来ることなら、心もやり取りできたらいいのに。
「メイコ」
「私の名前呼んで…好きって言って」
私の想いも、ルカの想いもやり取り出来たらいいのに。
言葉だけじゃ拙すぎて…
想いの半分も伝わらない。

「メイコ…」
「…ん」
「…メイコ」
「…うん」
そうしたら、胸の奥がこんな風に、むず痒くなることもないのに…

「メイコ…」
「…ルカ」
でも、言葉が要らなくなったら、必死に口を開く可愛い彼女が見られなくなるのか。
恋の駆け引きとか、青春の甘酸っぱい一ページも…
「メイコ」
そう考えると、全てが伝わらない言葉というのも捨てたものじゃない。
「…す、き…です」
「うん」

「メイコが好き」
「うん…私も、ルカが好きよ」
それに、胸の奥のむず痒さも、けして不快ななものじゃない。

伝わりそうで伝わらないから必死になって…
相手の心が見えないから、知ろうと必死になって…
そんなやり取りを楽しむのが恋だ。
言葉と、吐息と、鼓動で伝える想いというのもいいものだ。

しばらくたってから、マスターが部屋からいなくなっていることに気がついた。

ルカの肩を抱きしめながら、身長伸びないかなとかぼんやり思った。

4




リビングのソファで…
赤色が寝ていた。

机の上に散らばるのは無数の楽譜。
連日練習漬け、まともに寝ているのか心配だった。

近づくとかすかに聞こえる小さな寝息。
普段の飄々とした様子からは想像がつかないくらい、あどけない子供のような寝顔。
お腹出てるし…
黄色い双子がそろって鼻水を垂らしていたのを思い出した。
風邪ひきそう。
しかし、ここで起して部屋に連れていくのも無粋な気がした。
せっかく気持ちよく寝ているのに…
そっと足音をたてないようにその場から立ち去る。
向かうは自室。

我ながら、部屋は綺麗にしている方だと思う。
レンリンの部屋はカオスだし、ミクの部屋には得体のしれない物体が溢れている。
いったいそれは何なの…聞いてみようと思ったが、答えを聞くのが怖くて未だに聞けずにいる。
メイコの部屋は…完全に片付けられない女の代表である。

ベッドの上で畳まれているタオルケットを手に取る。
練習で疲れいている彼女に何もしてあげられないのなら、せめてこのくらいは…
風邪ひかれても困るし…

リビングに戻ると、メイコの姿勢は何一つ変わっていなかった。
寝返りの一つもうっていない。
持ってきたタオルケットをひろげて彼女の体にかける。
疲れている彼女に、これくらいの事しかしてやれない自分が恨めしい。

額にかかるひと房の髪をそっとよける。
やっぱり美人だ。
格好いいし…
なのに、寝ているときは可愛いなんて…
なんとなく、思考がやましい方向に流れていく。
気恥ずかしくなって、ごまかすようにメイコの頬を撫でる。

可愛い。
寝てるし、ちょっとだけ…
自分に無意味な言い訳をしながら、無防備な彼女に口づける。
そっと、壊れ物に触れるように軽く、髪、額、目、鼻、頬…少し開いたままの唇に、こころもち長めのキスを落とす。

彼女が起きているときは、恥ずかしくて自分からなんて考えもしないくせに…
こういうときだけ名残惜しいなんて…
自分勝手にも程がある。

さて、そろそろ部屋に戻ろう、そう思って唇を離そうとした。
…離れない…
頭の後ろに嫌な予感のする圧力。
体をひいてみる。
…動けない…

見なくても分かる。
明らかに、メイコの腕が私の体にまわされている。
やってしまった…と思った時には、解き既に遅し…
視界がぐるりと反転した。
背中に感じるソファの弾力。
視界いっぱいにひろがるのは、とびきり良い笑顔のメイコ。
「随分と、可愛いことしてくれるなぁ、ルカさん」
「…ね、寝ていたんじゃ…ないんですか…」
「んー起きた」
「いつ…」
さぁてね、と答えたメイコは、私の上に馬乗り。
逃げられないけど、私が苦しくないように…そんな優しさがメイコらしい。

好きだ…とたまには自分から言葉にしてみようか。
目の前の赤色は喜んでくれるだろうか…
「最近、ルカとニャンニャン出来なかったから寂しかったよ」
彼女らしいムードのかけらも無い言葉に、思わず笑みがこぼれる。
こんな状況になっても、意外と余裕のある私の勝ち。
メイコの驚いた顔をみるのは私。

下から腕を伸ばして、メイコの首にまわす。
お疲れのメイコに私が出来ること。
紅茶色の瞳をみつめて、はじめて自分から伝える。

「好きですよ…メイコ」
言葉で伝える。
そっと重ねた。
唇で伝える。

触れあう箇所から、私の想いが伝わりますように。

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