デリヘルカとドライバーメイコ

奇跡的なくらい、いちゃこらしてない
そして百合度低い




今夜の男は運がいい。
初回利用で彼女に当たるなんて、この店ではめったにないことだ。

人通りの少ない道を走りながら、バックミラーで後ろを確認する。
彼女は何を考えているのだろう。
薄暗い車内と、長い前髪が彼女の表情を隠す。
名前も、顔すらも知らない男のもとへ運ばれていく。
金をもらうために男に抱かれるというのはどのような気分だろう。

メイコの仕事に彼女の感情は関係ない。
指定されたホテルの駐車場まで、指定された商品を運ぶだけだ。
単純な割に、報酬の高い仕事。
副業としてこの仕事を始めてから、そろそろまる二年になる。
単調な作業だが、報酬にあうだけの不快なこの仕事にも、もう慣れた。

名も知らぬ男のもとへ運ぶ彼女たちは、商品だ。
ハンドルを回すメイコに、商品の感情など関係ない。
それでも時々、ふと彼女たちの声を聞いてみたくなる。
そんな仕事してて、貴女楽しいの…と

安っぽいネオンが煌めくこの街を、真っ黒なセダンで走り抜ける。
外の人工的な明かりが、車内の薄暗さを冗長する。
この二年間でいったい何度、この街に乗り入れただろう。
いい年をした女もいた、明らかに未成年の少女もいた。
どんな容姿であろうと、彼女たちの体には値段が付けられている。
彼女たちは店の商売道具でしかない。

ギラギラと輝く看板の前で車を止める。
もう一度、ちらりとバックミラーを見ると、ほんの一瞬だけ長い前髪からのぞく蒼い瞳と目があった。
ネオンの輝くこの街で、東京の夜空のように真っ黒なセダンを静かに滑らせる。
メイコの仕事は、感情のある生身の女を男のもとに送り届けるだけ。
黒いセダンのドライバー。


ふはっと紫煙を吐きだす。
閉めきった車内に濁った空気が充満していく。
体に良くないことは重々承知している。
まだ、ハコの中で声を張り上げていた頃は、こんな煙を体内に入れることなんて考えても見なかった。
喉に悪い?
シートに身を預けながら、フっと自嘲的に笑う。
もうあの舞台に立つこともないのだ…喉に悪かろうが、そんなことはどうでもいい。

美しい女だ、彼女は。
メイコの運ぶ商品の中に、とびきり美しい女がいる。
名前は知らない。
メイコが知っているのは、その女の容姿だけ。
強いて言うのなら、メイコより年は下だろう。
真っ白な肌も、ふわふわと揺れる長い髪も、男に提供するにはもったいないまでに美しい。

年はいくつだろう、どんな声音で話すのだろう。
誰もいない車内で二度目の笑いを洩らす。
たかが商品に、ここまで興味を持つのは彼女が初めてか…

「っ…あちち」
慌てて煙草を灰皿になげる。
鉄則は破るなと、指を焼きかけた煙草に忠告されたようだった。
二年間、けして破られることのなかった掟。
ちかちかと点滅を繰り返すデジタル時計に目を向ける。
彼女が降りてからそろそろ二時間がたとうとしている。
女の子の貸出時間の上限は二時間半。
遅い…

この店の決まりとして、三時間を過ぎたところでドライバーが様子を見にいくことになっている。
理由は簡単だ。
女が死んでいないか見に行けと…そういうことだ。
気分の悪い仕事だ。


入り口が開いて、中年の男が出てくる。
なにかやましいことでもあるのか、メイコの車を確認するとそそくさと歩き去った。
あの男が今夜の客ではないことを祈る。
まだ温かい体を前に、携帯でお巡りに連絡を入れるのは御免だ。

心配が杞憂に終わったことを安堵する。
こちらに向かってつかつかと歩いてくる女。
黒い細身のコートに、薄桃色の髪が映える。
たとえて言うなら、夜桜というところか。
センスのないたとえに、三度目の苦笑を洩らす。
この街と夜桜はあまりにもミスマッチすぎる。

扉が開いて、仕事を終えた夜桜の女が後部座席に乗り込む。
人が座る音を合図に、車を発進させる。
店には戻らない。
このまま、指定された駅まで夜桜の女を送り届ける。
メイコの仕事はそこまでだ。
女の背中が見えなくなるまでが仕事。

来た時と変わりのない煌びやかなネオン。
この街はいったい、いつ眠るのだろう。
来るものを拒まない娯楽の街。

陰って見えない美しい女の表情。
夜桜の女は、いったい何をおもって男に抱かれるのだろう。
バックミラーに映るのは薄桃色の長い髪と、細い肩。

羽織っただけのコートは、近くで見ると思いのほか安っぽい生地でできていた。
目に留まったのは、開いた胸元からのぞく出来たての生傷。
シミ一つない肌につけられた血の色が痛々しい。

たまにいるのだ、こういう客が。
自らのうちに溜め込むものを、金で買った女で発散させる。
暴力は嫌いだ。
よく見ると傷は一つではなく、袖から出ている手や布に覆われていない足に点々と傷がつけられている。

商品に傷を付けることは禁止されているはずだ。
店側としても、一週間程度は彼女を使えないはずだ。
先の男はどれだけのチップをはたいたのだろうか、女の体に傷をつけるために。

メイコの視線に気づいたのか、夜桜が目をあげた。
数秒の間、ミラー越しに見つめあう。
もっと、冷たい目をしているのかと思った。
イメージしていたのは、凛と冷たい冬の海。
夜桜の目は、夜明けを告げる春の空だった。

「前見てないと事故るわよ」
言われてから、彼女から目が離せなくなっていたことに気づく。
夜桜の声は、心地の良いアルトだった。

ふらふらと危ないトラックを抜き去る。
前を見ろと、促したくせに後方から感じる強い視線。
ミラーに視線を戻すと、案の定、夜桜と目があった。
「煙草…いい?」
白く細い指に、健康を害す嗜好品は不釣り合いだった。
後方にいる彼女に、灰皿を渡す。
無言で、対角線になるように窓をあけた。

しゅぼっという火のつく音と、くすりと笑う夜桜の声。
「…やさしいのね」
返事はしない。
商品との談笑は、メイコの仕事ではない。

窓の外を眺めながら煙草をふかす姿は、一生懸命背伸びをして大人になろうとしている少女のようだった。
外の空気に触れながら、夜桜はぽつりぽつりと言葉をこぼした。
返事をしないメイコに聞かせているのか、それとも単なる独り言か。
メイコはひたすら、指定の駅までセダンを滑らせた。


終電はない。
それでも、夜桜はいつも同じ駅を指定した。
いつもの場所へ着く直前、夜桜が言った。

「私、この駅から自転車で帰るのよ」
こんな、恰好で自転車に乗るの、想像できる?

さびれた住宅街を、夜桜が自転車で走る。
夜桜と住宅街も、夜桜と自転車も…あまりにも彼女に不似合いで、想像したら少し笑えた。

「…やっと笑った…」
驚いて目をあげると、ミラー越しに再度、目があった。
微笑む夜桜は、想像以上に幼く、あどけなかった。


彼女の背がだんだん遠ざかる。
曲がり角に、薄桃色が消える。

別に、何を考えていたわけでもない。
ただ、今日の事を考えていた。
夜桜の消えた曲がり角を見つめて、紫煙を吸い込む
肺にくるずしっと重たい感覚。
吐き出そうと思った時、運転席側の窓が叩かれる。
メイコが見つめる反対側の窓。

振り向いた先にいたのは、想像するまでもない、夜桜だった。
ウィンドウを下げていく。
「貴女の目って、なんだか梅雨みたいで寂しい」
梅雨みたいな目ってどんな目だろう。
湿っぽいとか…?
「ねぇ、私今日で店辞めるのよ」
間近でみた生傷は想像以上に痛々しい。
そうか、夜桜の仕事は今、終わったのか。

「あなた、自分でキマリゴト作ってるでしょう?」
キマリゴト…決まり事
「何人もいたわよ、貴女みたいなドライバーさん」
彼女の顔に吹きかけたりしないように、少し横を向いて紫煙を吐き出す。
彼女に煙草は似合わない。
「女の子に話しかけない、とかね…でも、貴女が初めてよ、私が話しかけても返事しなかったの」
外気の香りをかいで、もう春が近いことを知る。
「店の子には話しかけない、店の子には手を出さない、店の子の前では煙草を吸わない」
メイコの掟の中に、煙草の決まりはない。
「この辺は多かったわね…私、貴女の掟知ってるわよ」
にこり、と笑った。
体を売っているとは思えないほど、綺麗な微笑み。
人差し指をぴっとたてる。
「女の子を待つときは駐車場で待たない。ホテルの前で待つ」
確かに、よく見ている。
「他のドライバーさんは、みんな駐車場で眠りこけているわよ。貴女、居眠りしたことないでしょう」
人差し指に並べて中指を立てる。
「それと…」
それと?
「女の子が見えなくなるまでが、貴女のお仕事」
違う?と夜桜が首をかしげる。
今になって、彼女が自転車のハンドルを握っていることに気づく。
ママチャリではないことに安堵する。

「ねぇ、私今日で店辞めるのよ」
すっと表情を消した夜桜の視線がメイコを射る。
だからなんだというのだ、お疲れ様とでも言えばいいのか。
美しい女の蒼い瞳を見返す。

「私はもう…あの店の女じゃない」
傷ついた夜桜の手がメイコの前髪に触れる。
夜桜はもう、店の商品ではない。
そうか、今夜で、夜桜を運ぶことはないのか。

「私のお仕事も、貴女のお仕事も終わり。ねぇ、貴女の声を聞かせて」
美しい女は、どこまでいっても美しい。
何か話そうと思って口を開いたが、言葉が出てこない。
何を話せばいいのだ。

「名前は?」
夜桜が眉を下げて笑った。
「ルカ」

「私はドライバーさんのこと知ってる。ね、MEIKOさん」
ぽとり、と一枚の名刺が膝の上に落とされる。
そこに記されていたのは見覚えのあるライブハウスの名前。
「貴女がいなかったら…こんな仕事してませんよ」


「っ…あちち」
指を焦がしかけた短い吸殻を灰皿になげる。

大量の吸殻のなかの一つだけ、かすかに残る口紅の色がよく映える。
それは、闇夜に咲き乱れる桜のように。






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